若い頃は「死」というものを自分ごととして考えられなかった。
もちろん、祖父母、両親、親戚等の家族の死、それに伴うお葬式などに参加することで「死」は身近なものではあったが、あくまでも身近であっただけで、どこか他人事、自らの人生に起こるものだと実感していなかったと思う。
しかし、40代前半の頃、急性心筋梗塞を発症して救急車で運ばれ、そして2年も立たないうちにその再発リスクを抱えたことで「死」というものが突然自分ごとになった。
ってか、主治医に「このままだとあと10年程度しか生きられません」と余命宣告に近いことを告げられ、自らの寿命を突きつけられたことで否応なしに「死」を意識せざるを得なくなった。といっても、余命10年という中途半端な感じなんだけどね・・・。
でも、いくら中途半端であっても、余命宣告って人生で何度も経験するものではない貴重体験なので、「余命宣告をされた人の気持ち」「余命宣告をされた時、人は何を考え、何をしたいと思うのか?」なんてことを記録に残しておこうと思う。
余命宣告された親父の行動からどんな気持ちだったか考える
数年前、父親が癌による余命宣告を受け、旅立ったという経験をした。
その時の親父の気持ちを推し量ることはできても、実際にどんな気持ち・感情で僕たち家族に接していたのかは実際のところ分からない。
しかし、分からないながらも余命宣告を受けた後、親父がどんな行動を取ったのか思い出してみると・・・
- まずは、別の病院でセカンドオピニオンを受けると言い出し、実際に3つの病院で検査・診断を受け、癌の進行具合と治療方針を納得がいくまで確認していた。
- 病院での治療ではなく、俗に言う民間治療的なもので癌を治す、癌と戦う試みも行っていた。
これらの行動から、「余命を延ばす、生き続ける、癌と戦う」という強い意思は感じられるが、余命1年半という宣告を受け入れていたのか、受け入れられずもがいていたのかは今となっては分からない。
しかし、その後、親父はこのような行動を始めた。
- 母親と二人で頻繁に外出・旅行をし、思い出づくりをしているようだった。
- 身の回りのものを整理し始めた。
- 貯金、保険等を整理し一覧化し始めた。
- 何年も会っていないような昔からお世話になっていた人たちに会いに行っていた。
これらの行動からは、明らかに余命宣告を受け入れ、残された時間で自分がやりたいことをやったり、大切な人たちの為の今後を考え、自分ができることをやっていたと思う。
こうして改めて考えると、親父は余命宣告をされた直後は葛藤がありつつも、それを徐々に受け入れ、自分の気持を整理し、残された短い時間をどう過ごすのかしっかり考え、悔しかっただろうけど心残りの無い人生を送ったんだろう。
尊敬すべき偉大な父だ。
余命宣告をされた時、私は何を思い、どんな感情になったのか?
一方、心筋梗塞の再発で「余命10年」というなんとも言えない中途半端な余命宣告を受けた私が感じたことといえば・・・
- えぇ?俺は後10年しか生きられないの?
- ってか、どういうこと?10年もあれば色々できるじゃん。ちゃんと治療やれば寿命延ばせる?
- ってか、10年後だったら医学発達して新しい治療法とかできて、俺の病気治せるんじゃないの?そもそも難病とかじゃないわけだし・・・。
- ってか、なに? 俺、今日から緊急入院?今から緊急手術?
- いやいや、仕事あるし、緊急入院とか困るし。
- あ、病院の近くのコインパーキングに車停めたんだけどどうなるの?手術する前に車で家に帰って電車で来ようかな。じゃねぇ〜と駐車料金高額になるじゃん。
- 駐車料金もだけど、カテーテル手術か・・・。手術費用20万円とかかかるかな・・・。また無駄な出費だよ。
- このまま手術&入院したら着替えとかどうするわけ?
余命宣告を受け入れるとか受け入れないとか、命がどうとか、人生観がどうとか、今後の時間をどう生きるとか、ショックを受けるとか、落ち込むとか、心の葛藤的なものは一切なし。
目先のことばかり考えてしまった。
この余命宣告が仮に10年という遠い未来のことではなく、1年後、2年後というすぐ先の未来であった場合、私の感じ方、受け入れ方は違ったのだろうか?
それとも、2年後だろうが1年後だろうか半年後だろうが、同じように明日の仕事のこととか駐車料金のこととか着替えを気にしたのだろうか?
余命宣告されても、命の危険を感じていても、自分ごとして考えられない
今現在、私の心臓の血管は90%詰まっている状態。いわゆる重度の狭心症であり心筋梗塞一歩手前の状態である。
なので、こうしてブログを書いている最中に残り10%部分に血栓等が詰ってしまい、2度目の心筋梗塞を発症。一気にあの世行きということも可能性としてゼロではない。
にも関わらず、
- なんのショックも感じない。
- 落ち込みもしないし。
- 恐怖も感じない。
- 今後の自分の人生について考えもしない。
- 早く見つかって良かったとか、狭心症になって嫌だとかいう感情もない。
それどころか、普通に残業して仕事をこなしている。カテーテル手術のために仕事の調整をしなければならないことを面倒臭いと思っている。
こんな私は心が壊れているのだろうか?
いろんな感情に振り回され、不安とか恐怖を感じるよりよっぽど良いんだろうけど、自分の命と真剣に向き合えないなんて、自分のことながらなんだかちょっぴり切ない気持ちになってしまった。
でもね、狭心症・心筋梗塞再発リスクを言い渡されてからの数日間、毎日寝る前にこう思う。
「明日、目が覚めるといいな」って。
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